サウジアラビアや中東の民間伝承|邪視信仰ハサドとは?
サウジアラビア旅行するときに注意することの一つに「見知らぬ人を5秒以上見つめない」ことが挙げられます。
「えっ、どうして」と不思議に思われるかもしれないですね。
それは、邪視信仰があるからです。
サウジアラビアや中東アラブ世界では、邪視のことを「ハサド」と言います。
日本ではあまり見受けられない文化、風習だと思いますが、英語圏では「evil eye=イビルアイ」「悪魔の目」と言います。
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サウジアラビアに35年以上も住んでいるとその国の文化、習慣に知らないうちになじんできてしまいます。
「朱に染まれば赤くなる」のことわざもありますね。
だんだんと周りの人の考え方を学習していくうちに自分もいつの間にか同じような考え方にはまっていきます。
最初は、そのような考え方に違和感を覚えたものです。
そのような考え方とは、サウジアラビアばかりでなく中東アラブ世界全般、南ヨーロッパ、北アフリカ、西アジア、インド、ロシアなどほとんどの世界で見受けられる民間伝承「邪視信仰」です。
この記事を読んでいただくと以下のことがわかります。
- 邪視信仰とは何か
- 邪視信仰によってカルチャーショックを受けた体験談
- 邪視を防ぐための方法にはどんなものがあるのか
- サウジアラビアのお土産の店で(ナザルボンジュやハムサ)などの開運グッズ、お守りは売っていないのはどうして?
以上のことがこの記事を読むことでサウジアラビア人の考え方だけではなく、中東アラブ世界の邪視信仰についても理解が深まります。
サウジアラビアの邪視信仰とは何か?|マーシャアッラータバーラカッラーと言おう!
いったいサウジアラビアの邪視信仰って何?
と不思議に思われたかもしれません。
日本では「邪視信仰」ということばは、あまり聞きなれない言葉です。
邪視信仰とは、簡単に言うと悪意を持って相手をにらみつける事により、対象者に呪いをかける魔力です。
上の説明だとそのような眼力=目ぢから(魔眼)を持った特定の人が呪いをかける力があると思われるかもしれませんね。
しかし、これから説明するサウジアラビアや中東での「邪視信仰」は、普通の人間には、そのような要素が元々備わっていると考えられていることが前提になっています。
サウジアラビアでは、日常的にいつでも、だれに対しても起こりうる現象なのです。
本人が自覚していようがいまいが...
普通の人が、何の気なしに、或いは「わぁーすごっ!」と賞賛して人や※モノを眺めても、眺められたモノが害を受けるとする考え方なのです。
たとえば、美しい人に「まぁ、おきれいな方ですね」と声をかけたとしましょう。するとそのきれいな人は、邪視の対象(呪われた)にされたと思い嫌な気持ちになるのです。自分に害が及ぶと考えてしまうのです。(きれいじゃなくなる)
そういう時は、「マーシャアッラータバーラカッラー、おきれいですね」と言ってあげましょう。
すると言われた本人は、呪われたとは、思いません。
神様のご加護があるからですね。
マーシャアッラータバーラカッラーの意味は、「神のご加護を」です。
モノの場合は、どうでしょうか?
以前、こんなことがありました。
我が家のエアコンが修理したはずなのにまたすぐ壊れてしまいました。
そこで、修理屋さんに質問してみました。
「どうして、この間、修理したのにまたすぐ壊れたの?」と聞いたら「ミンラッバナ~」(神様のせい)と言ったんです。
つまり、私はちゃんと修理したけど、壊れるものは、壊れる運命にあるという考え方です。
この考え方を突き詰めると邪視によりエアコンが壊れたんだという考え方もできます。
このように人間に対してだけでなく、モノにも邪視の力が及ぶのだと言う考え方があります。
※モノ :お金、建物、衣装、調度品、電気製品、家具、農作物、家畜などあらゆるものをさす
サウジアラビアと同じような邪視信仰は日本にもあったのか?
昔から、日本には、「邪視信仰」という言葉は存在していたのでしょうか。
そこで、調べてみると以下のことがわかりました。
日本には、邪視信仰に似た民間伝承があってそれは、悪いことや災いは、悪魔の仕業によるものと考えられていました。
悪魔を人の弱みや隙間につけこもうとする厄介な存在だとしてそれを防ぐために今でも、呪文やお守りやお札などの護符が対抗手段として存在しています。
このような解釈をした「出口米吉」の考え方に感化されて南方熊楠(みなかたくまぐす)は、その災いを起こす悪魔を目ぢから(邪視)によるものとみなしました。
邪視の背景には、常に人間が抱く嫉妬、憎悪の感情、貪欲などの煩悩が引き起こす霊的存在があるとしました。
このように南方熊楠が、イギリスのエルワージの著書を読んでevil eyeを「邪視」と訳したことが邪視信仰という言葉の始まりです。
この時期は、明治の後期になりますから今から約100年余り前には、邪視信仰という言葉が生まれていました。
だから日本にはもともと「邪視信仰」という言葉や考え方は、なかったのです。
参考文献:池田光穂「邪視」、ピクシブ百科事典「邪視」、ウィキペディア「邪視」、田中宣一著 南方熊楠(みなかたくまぐす)についての本
邪視は人だけでなくモノにも及ぶとは?
上に述べたエアコンの故障に対しても邪視が働くという考え方は理解できたでしょうか?
日本にも邪視信仰に似た民俗伝承は存在していましたが、モノに対しては、邪視信仰は見受けられなかったのではないでしょうか。
たとえば、日本人は家電が壊れても、「寿命かなぁ」とか、「安かったからかなぁ」とか、「使い方が悪かったからかなぁ」など思います。
サウジアラビアでは、だれかの(邪視)でモノを壊されたと思い込んでしまうのです。
たとえば、メイドとか訪問客とか、修理屋さん、果ては友達までも疑われます。
疑ってもどうにもならないので、それはその場限りの想像をめぐらすしかないのですが...
サウジアラビアやトルコ、湾岸諸国などの中東の国では、そのようにモノに対しても邪視信仰の考え方が存在していることを理解しておきましょう。
アラブ人は嘘を平気でついてもいいの?
アラブ人は、自分が邪視を向けられる恐れがあれば平気でウソをつきます。
彼らにすればウソというよりも防衛手段だと思っているのです。
もし、あなたが誰かに嘘をつかれたら嫌な気持ちですよね。
その場でわかってしまうウソならなおさらです。
妊婦に質問した時にカルチャーショックを受けた
私は、かなり昔、わかりきったウソでカルチャーショックを受けました。
アラブ人の知人でおなかの大きい人がいたので「妊娠しているの、何か月目?」と聞いてみました。
日本人だったら当然100%の人が何の疑いもなく「はい、~か月目」などと答えることでしょう。
ところが、予想に反して「いいえ、妊娠じゃなく太ったからよ」という返答。
はたからみても、7、8か月目くらいの相当大きいお腹なのにです。
私は、その当時は、アラブ人の邪視信仰についてしらなかったのです。
「なんでウソをつくんだろう?ネタばれなのに」と内心憤慨しました。
もう、皆さんは、彼女がウソをついた理由がお分かりになったでしょう。
そう、私がお腹を見つめたことにより邪視(ハサド)を受けないように防衛のために嘘をついたのです。
特に子だくさんの方だとなお更教えたくないです。
「まぁ、すごい、そんなにお子さんがいるのにまた妊娠なの」と驚かれるからです。
そのように思われたくないから教えません。
流産したりする危険性がありますから。
私がもし「マーシャアッラータバーラカッラー、妊娠何か月目?」と聞いていたら返事は違っていたかもしれません。
私が作ったお寿司をほかの人に見せたら「いらない」と言われてカルチャーショックを受けた
私がコーランを学んでいるカルチャーセンターにお寿司の好きな人がいました。
ある時、お寿司を作ってもってきてあげるよと約束をしました。
そしたら、彼女が来たので「今日お寿司をもってきたよ」と言ったら
ちょっとけげんそうな顔をしたんです。
私は、その意味が分からず自慢げにクラスのほかの人にも見せたりしました。
「まぁ、マーシャアッラー、SUSHIは、いろどりがきれいね」などと言ってくれました。
授業が終わって帰るときに、彼女が「お寿司は、いらない」といって帰ろうとしました。
私は、せっかく作ってもってきてあげたのに、いらないとはなんだと、怒りがこみあげてきました。
怒りを押しころしながら、どうしていらないのと聞いたら「みんなにお寿司を持ってきたことがばれたし、見せたりしたから」だと言いました。
それでも私は、その当時、その言葉の意味を理解できませんでした。
このまま、お寿司を持ち帰るのもしゃくにさわるから「お寿司を食べてみたい人がいたらどうぞ」と言ってみました。
2,3人が寄ってきました。
初めてお寿司を食べたひとばかりでしたが、おいしかったと言ってくれました。
皆さんは、どうして彼女がお寿司をいらないと言ったかわかりますか?
そう、ここまで記事を読んで頂いたならばもうおわかりかと思います。
彼女が頂くお寿司が他の人から目を付けられたので(邪視)にあったら害が及ぶかもしれないと思ったからです。
害とは、この場合は、お寿司を食べてお腹をこわすかもしれないということです。
邪視を防衛するための方法とは?
では、この邪視を防ぐための方法には、どんなものがあるのでしょうか?
日本では、呪文やおまじない、お札、お守りなどの護符があります。
サウジアラビア以外の国での邪視(ハサド)をはね返す方法とは?
サウジアラビア以外の国で邪視(ハサド)に対抗するものは、トルコでは「ナザルボンジュ」や「ハムサ」などのお守りです。
トルコへ旅行に行った人は、土産物店で邪視から身を守る青い目玉の「ナザルボンジュ」を見たことがあると思います。
ナザル(アラビア語で目という意味)とは目という意味で、ボンジュとはガラス玉という意味で強烈な嫉妬を避けて守ってくれます。
「ハムサ」はアラビア語で数字の5を意味します。別名」「ファートマの手」とも呼ばれています。
ファートマとは、イスラム教の預言者ムハンマドの娘のことを指します。
以下は、「ハムサ」についての説明です。
主に中東、マグリブ地方で使われる、邪視から身を守るための護符である[1]。
イスラム社会ではファーティマの手あるいはファーティマの目としても知られ、中東のユダヤ教徒社会(ミズラヒムなど)ではミリアムの手(Hand of Miriam)あるいはアイン・ハー=ラーア(עַיִן הָרָע ‘ayin hāRā‘、悪い目、「邪視」)として知られる。
典型的なハムサは5指のうちの中央の3本が山形を成し、親指と小指が同じ長さの手の形をしたデザインである[1]。中央に目やダビデの星、イクトゥスをあしらったハムサなどがある。 中東では、邪視に対抗するアミュレットとしてイスラム教徒とミズラヒムの社会では、ハムサを壁などにかけた。 マグリブ地方では邪視除け以外にも、豊饒のシンボルとして贈答品や奉納品、結婚式や店舗の飾りとして用いられる[1]。
引用元:ウイキペディア
英語圏では、「お守り」に相当する言葉は、チャーム(日本のお札やお守りに該当するようなもの)、アミュレット(首からかける魔除けの護符)、タリスマン(どこかで特別に何かの力を込めてもらった場合)などと言われています。
サウジアラビアではお守りは存在するのか?|邪視(ハサド)をはね返すものは?
サウジアラビアでは、お守りは、売っていません。
サウジアラビアには、トルコと同じような青い目玉(ナザルボンジュ)やハムサのようなお守りは、売っていません。
サウジに旅行に来たら、もしかしたら車の中にアクセサリーのようにナザルボンジュをぶらさげていたり、青い目玉のついたアクセサリーのようなものを見かけるかもしれません。
それは、トルコやエジプトなどの外国から購入したものです。
サウジアラビアでは、お守りはビダ-(異端)です。
サウジアラビアでは、トルコで売られているナザルボンジュやハムサのお守りは、ビダー(異端)といいます。
ビダーとは、イスラム教に収まるかどうか疑問視されるものなのです。
それでは、邪視信仰(ハサド)のあるサウジアラビアでは、どのようにその(ハサド)に対抗するのでしょうか?
サウジアラビアではアズカールやコーランの章句を唱えることで邪視(ハサド)に対抗する
サウジアラビアでは邪視(ハサド)に対抗するものは、※「アズカール」の本や「コーラン」の本の章句を読んで気持ちを落ち着かせアッラーに邪視(ハサド)の害を受けないように祈ります。
また、以前は、車のバックウインドウに「マッシャーアッラー、タバーラカッラー」と白いペンキでアラビア文字を書いたりしました。
これは、2019年から禁止になりました。車の窓に文字を書くのは視界をさえぎるので違反行為になるとされました。
家の玄関先に「マッシャーアッラー、タバーラカッラー」という言葉を掲げている場合は、問題ありません。
他には、「コーラン」に書かれた節や章句を読み上げたり、「アズカール」という本に書かれた文句を唱えたりします。
また、金曜日のお祈りの日には、「バフォール」というお香を焚いて邪気を払ったりします。
※アズカール:コーランの章句やムハンマドの言行録(ハディース)などが書かれている本
サウジアラビアの南方では、結婚式に刀を身にまとう習慣がある
サウジアラビアの南方「バーハ」などでは、結婚式のお祝いの席に「トーブ」という民族衣装を着て刀を身に着ける習慣があります。
サウジアラビアの男性達は、現在でも冠婚葬祭などや祝祭など正装すべき際には帯刀し、民俗舞踊では剣を手に踊ります。正装の際に帯刀されるのはほとんどが模造刀ですが、なかには真剣を帯刀している人もいます。
引用元:中東の剣舞:サウジアラビア
結婚式に刀を身に着けると聞くとなんだか奇妙な感じがしますが、邪視信仰(ハサド)の考え方をしたら納得がいきます。
おめでたい結婚式にも強い嫉妬心を持った羨望の眼差しを持った邪視(ハサド)の存在があるかもしれません。
その邪視(ハサド)を刀で払うという考え方をしたならば結婚式に刀をまとう理由が成り立ちます。
これはあくまでも私の推測なので、もしかするとただの装飾品としての役割なのかもしれません。
世界各地のお土産売り場で売られているお守り|邪視信仰は宗教に関わりなく世界に存在する
日本に限らず、外国の旅先で、お守りが売られているのを目にしたことがありませんか?
私は、香港の土産物屋で小さい赤い唐辛子が鈴なりに連なった飾りのようなものを見つけました。
ただの飾りものなのかと思っていたら魔除けだという説明がありました。
家の中や部屋などにつるしておくのだそうです。
トルコの「ナザルボンジュ」は魔除けで有名ですね。
他には、「ハムサ」=ファートマの手とよばれているものも人気があるお守りです。
これも邪視を跳ね返してくれるお守りです。
「ハムサ」は、トルコやエジプトなど中東全域全般、北アフリカ地域でもお守りとして使われています。
英語圏でも「お守り」に相当する言葉は、チャーム、アミュレット、タリスマンなどという色々な言い方がありました。
科学が発達し、人々の病気を治す薬や治療技術が進み、昔よりも格段に合理的な考え方ができる時代になってきました。
しかし、いまだに人々は、災いから身を守るためにお守りにたよっています。
サウジアラビアのお守りに関する考え方は、ほかの国と違いお守りは、身に着けません。
身に着けるとビダー(異端)だと言われます。
サウジアラビアでは、「アズカール」や「コーラン」の本を読んで邪視(ハサド)から身を守ります。
邪視とそれをはね返す対抗手段としてのお守りというスピリチュアルな文化が無視できない現象として宗教に関係なく存在しています。
それぞれの国の邪視信仰は、少しづつ違いがありますが、宗教を超えて世界中の文化と宗教に広く行き渡っているのは、興味深いことです。